健常者の当たり前で回る日常
脚本の勉強に月刊ドラマとか月刊シナリオとか買うわけですよ。そこでコンクールで賞を取られた方達やプロで活躍されてる方とかの経歴が書いてあるんですね。それがもう立派すぎて。大学出てなくてまともな職に就いたことない自分はこの世界に入れそうになってもうまくいかないんじゃないかと思って落ち込むことが多い。AIに泣きついてもAIなので、表現の世界で学歴は関係ないよ!!!!!!!とか言ってくるのですが現実の人間の世界は健常者が多くて、健常者によって回されているためそこから常にはみ出しこんなことになっているのでまたはみ出して居場所がない状態になりそうだなと思ってしまう。
なぜ脚本を書いて賞に出したかというと、私はオタクの活動として二次創作をしているのですが、お話はたくさん思いつくのに作画をするのがめちゃくちゃしんどくて。お話を思いつくスピードに絵を描くことが全然ついてこなくて。そんな時になんとなくAIにお話書いてるだけでいい仕事ってないかなあと聞いたら、脚本家とかあるよ~締め切りは近いやつこれとかこれ!って出してきたので、今まで同じような結論を見てきてはいたけどその時はじゃあなにか書いてみるか~と思って書いて出したんだよなあ。謎。
脚本家になりたいというより、好きなものを書いてそれでお金を貰いたい感じ。その結果に脚本家という名前がつくならそれでいいかなと思う。映像作品は好きなので自分の書いたものが形になったら嬉しいだろうなあとも思うんだけど、でもこないだ書いて出した脚本はもう手元を離れたので登場人物の名前すらあまり覚えていない。脚本を書くことを仕事にしたいなら、自分が書いたところから大勢の人が関わって自分の意図と違う表現が入ってきたりするんだろうし固執しすぎないのはいいことなのかもなとも思ったりするけど。
話がそれたがなんでみんなが立派に大学出て人に言える仕事してる前提でこの世は回ってるんだなっていつも思うわけですよ。なんとかしてくれ。そしてもし口が滑ってこちらの状況を話したらドン引きして離れていくのによ~~~~。全く勝手だぜ健常者ってやつは…☆
健常者だから嫌いで障害者だから好きとかもないんだけど、健常者の当たり前に押されて内臓出ながらぺしゃんこになった記憶が多すぎて健常者イヤー!!!!になってるだけなんだよな。
でも健常者で私のいろんな状況を知っていても仲良くしてくれる人もいて。10年以上インターネットでしか付き合いのない男の子がいて、その子は私がどんなにインターネットで暴れてても家庭とか自分の状況話しててもずーっと見てくれてるんだよな。コメントじゃなくてもたまにリアクションくれるし謎な関係だなと思う。友達というほど近くもないけどインターネットの知り合いというほど遠くもない関係で謎。
そしてここに帰ってくるが、この当たり前は変わることないじゃん。この当たり前を持ってる人たちが世の中多いんだからさ。
常々世の人々は知らない他人に関心を持ちすぎだなと思っていて、いろんな人がいるからまあそんなこともあるよねっっていう気の持ちようがもっとあってもいいんじゃないかと思う。よくそんな自分のことしか考えないでいられるな!?って人は多いよな…。その人たちがマイノリティになってくれんかな…。
我々のような者は健常に擬態し、隠れて生き、インターネットの隅でもそもそしているしかないのだ…。健常者にはこのもそもそが面白く映ったりするだろう。消費してくれこのぽえくんの終わってる人生を。